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トヨタが活躍した歴史の1ページ

WRCにおける史上最もパワフルであったグループBが、あまりにもパワフルすぎで危険であると、数々の大惨事となった事故の教訓から5年も続いたパワー競争は終わりとなりました。1tを切る軽量なマシンに、400から600馬力のハイパワーなエンジンで公道を走るために大きなダウンフォースが必要なため、大きなウイングなどの空力部品を付けた仕様の、見るからにモンスターマシンというものはそれ以降見られなくなります。それに変わるマシンは1987年からグループAとなり、連続する12か月間に5000台以上、1993年からは連続する12か月間に2500台以上生産された4シーター以上の車がホモロゲーションと呼ばれる出走を許可された公認車両となりました。この頃に日本車に乗ったドライバーとしては初めての年間ドライバーズ・チャンピオンシップをカルロス・サインツが、トヨタ・セリカGT-FOURをドライブして1990年にゲットします。1991年になると、スペイン人のカルロス・サインツが初戦である第59回ラリー・オートモービル・モンテカルロをトヨタ・セリカGT-FOURで制しますが、イタリア製のランチア・デルタ・インテグラーレ16Vが猛威をふるいユハ・カンクネンが年間ワールドチャンピオンとなりました。というのもグループAに移行してからは、フルタイム4輪駆動システムと過給器付きの2000ccエンジンが必須の時代となります。そんなホモロゲーションを出来るだけの生産をして販売できるメーカーが当時はまだ少なかったことから、ランチアの対応が素早く追いついて追い越していったとも言えます。