
蘇ったセリカ
AE111型ベースに開発していたカローラWRCに搭載するエンジンについて、当初のWRカーの規格では同車種にラインナップされたエンジンしか使用できなかったもののFIA(国際自動車連盟)から同一メーカーの車両での認可を取付けます。このことで実績のあるエンジンを乗せることが出来るようになりました。また、セリカに比べてコンパクトなAE111型の8代目カローラが車体のオーバーハングを短くし、車両の前後のタイヤからそれぞれ外側にはみ出した車体部分が短いために未舗装路の多いラリーでの走行性能の改善を狙ったということになります。またカローラの車体にセリカのエンジンを乗せるために、25度後傾化してフロントボンネットの下に積んだもののやはり重量が後輪の40%に対して前輪に60%の荷重がかかる、いわゆるフロントへビーになってしまいました。それはリアトランク下に、ガソリン満タンにした燃料タンクにを搭載することによって、後輪に重量がける対策を行えば54.45の重量に減りはするもののやはりネックと捉えられ、周辺パーツを含めた軽量化に取り組むことになります。また4輪駆動システムはセリカのものをまんま導入してデビューさせましたが、その機構も時代の流れで進化して、トルクスプリットに寄るものから電子油圧制御システムに変更になりました。また、国内ではあまり売れなかった丸目のヘッドライトの欧州仕様デザインは、目を引きました。1997年のカローラWRCの復帰に向けて、トヨタの失格でシートを失っていたディディエ・オリオールはTTEのオベ・アンダーソン監督からの信頼が厚かったために、1996年からカローラWRCの開発に携わっていました。1997年からはトヨタはサテライトチームからST205型のセリカで出走して、第7戦となる第17回ラリー・アルゼンティーナにはイタリアのプライベーターであるグリフォーネから出走し5位に入っています。そうして3戦後である第10戦の第47回ネステ・ラリー・フィンランドからついにカローラWRCがデビューして8位に入り、第39回ラリー・サンレモ・ラリー・ド・イタリアでも8位に入ります。その後ラスト2戦目となる第10回API_ラリー・オーストラリアではディディエ・オリオールが表彰台に久しぶりに登ることになりました。1997年には三菱とスバルにフォードだけだったワークスチームは、1998年にはトヨタとスペインのセアトが増えます。しかしながらランサーエボリューション_IVに続いてランサーエボリューション_Vを投入して、リタイヤが6回もあるにも関わらず5勝を挙げノッテきたトミ・マキネンの勢いには手が届きませんでした。初戦の第66回ラリー・オートモービル・モンテカルロを幸先の良い優勝で飾るなど、優勝2回で表彰台が5回、4位も2回という安定した成績のカルロス・サインツが駆るカローラWRCは、ドライバーズ・チャンピオンシップに於いてわずか2ポイント差で追いつくことが出来ませんでした。またカローラWRCの開発に携わったディディエ・オリオールが凱旋ラリーの第42回ツール・ド・コルス・ラリー・ド・フランスで6位に終わってしまうなど、第34回ラリー・カタルーニャ・コスタ・ブラバ(ラリー・デ・エスパーニャ)での1勝しか挙げられなかったことが悔やまれます。これが響いてマニファクチャラー・チャンピオンシップでは、三菱がトヨタに6ポイント差を付けて優勝を飾ります。その後1999年までトヨタは最後となるマニファクチャラー・チャンピオンシップをゲットすることが出来ませんでした。